鬱で退職を決断…正規教員にはなったものの

秋題名
目 次
    1. 辞めるきっかけ
    2. 出てきた症状
    3. 鬱状態になっていました
    4. 病気休暇中
    5. 辞める決心
    6. 教員生活最後の1か月
    7. 同じような気持ちの人に伝えたいこと
    8. これからの人生

正規教員になって9年、

ちょっと人間関係で疲れてしまいました。

今まで乗り越えられてきたものが、限界になってしまいました。

いつも乗り越えられてきたのは、どんなに忙しくてもつらくても、

話を聞いてくれる同僚がいたこと

話しやすい管理職がいたことです。

環境が良いと、仕事がきつくても耐えられるってことですね。

せっかく正規教員になったのに、辞めることにしました。

イチョウ

今私と同じように悩んでいる方、こんな退職の仕方もあるんだな・・と

ちょっと気持ちが楽になってくれたら嬉しいです。




1.辞めるきっかけ

辞めるきっかけとなったのは、異動。

転勤をして、新しい学校には、自分が話せる相手がいませんでした。

同じ学年になった先生方とも何となく話が合わず。

そして毎日のように仕事が山のようにふってくる・・・

特に苦しんだのが校務分掌。生活指導になり

仕事

安全教育のために学校内の環境整備や避難訓練、安全教室などなど

行事が多く、何かが起きるとすぐに招集がかかる分掌。

おまけに行事立案は必ず電子起案。誰に聞いて良いのかも分からず、

起案を立てても立てても戻される日々。

自宅に学校のパソコンを持ち帰り、

休みの日は、毎日パソコンとにらめっこ。

新1年生のクラスの担任にもかかわらず、なかなかクラスのことに専念できず。

さらに学年での授業も受けもっている。

良かれと思ってやっていたことが

学年会で非難を浴びる。

いつもネガティブに話を進める学年主任。

何を提案しても却下。

孤立状態でした。




2.出てきた症状

初めは身体の疲れが寝てもとれなかったので、

“相当疲れているな”と思っていた程度だったのですが、次第に

目覚めているのに、起きるのがつらい

食欲がなくなる

気が付くと学校のことばかり考えている

矢印

学校に着くと憂鬱な気持ちになる

誰とも話したくない

人の話が頭に入ってこない

すべてにおいてやる気がでない

自分の悪口を言っているように思えてくる

人と話そうとすると涙が出てくる

眠いのに眠れない、寝てもすぐ目が覚めてしまう

通勤の足取りが重くなり、学校に着きたくない

学校のことを考えると具合が悪くなる

学校に行くことに拒絶反応がでて、ついに休みをとる

このように症状がだんだんと強く出るようになり

ついに心療内科に行こうと思うようになりました…



3.鬱状態になっていました

心身ともに疲れ果て、心療内科を受診。そして

診断結果はやはり鬱病。

適応障害もあり、結局3か月の病休をとることに。

診断書は姉に持って行ってもらいました。

診断書

対応したのは副校長。

「学校のことは考えずにゆっくり休んでください」

そういう言葉をもらいましたが、全く無理

自責の念が襲い掛かりました。

『今の時間は○○の授業。私の代わりに誰がやっているんだろう。申し訳ない』

『こんなことぐらいで休んで、学校にすごい迷惑をかけた』

『自分のクラスは誰がもってくれている?子供たち、ごめんなさい』

『私の分の仕事を増やして、学年の先生は恨んでいるに違いない』

『大した事ないくせに休んでると、きっとみんなで私の悪口を言っているに違いない』

そういった不安や恐怖心も襲ってきます。



4.病気休暇中
鬱

1か月目

病休が終わることを考えると怖くなる

同じ職場に戻りたくない

人と会いたくない

今後どうしたらよいか分からない

休職後学校に行ける気がしない

人が悪口を言っている気がして怖い

辞めたい

そんなことばかり考えて、

全く何もやる気がでず、生きているってだけの状態でした。

休んで2週間ぐらいたってから、やはり学校のことが気になったのと、

自分は今後どう動いたらよいのか分からず

勇気を振り絞って学校に電話をしました。

対応したのは副校長です。

副校長は病気を心配しているようなことは言っていましたが、

3カ月過ぎたらどうするのか早いうちに決めてくれという言葉を

投げかけてきました。

また今後の連絡は、電話でもメールでも構わないと言われました。

全く今、何も考えられない状態なのに

3か月先のことなんて考えられない‥と腹が立ちました。

そしてその副校長の言葉がずっと引っ掛かり、その後は

「これからどうしよう…どうしよう」と

さらに不安が増えてしまいました。



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5.辞める決心

病休2カ月目

カレンダーを見る女性

いつ学校から連絡がくるかと毎日ドキドキしていましたが、学校からは何も連絡がありませんでした。

その間ずっと副校長の『早く今後のことを考えてほしい』と言われていた言葉が脳裏から離れず、どうしようとばかり考えていました。

公務員は病気休暇の3か月が過ぎても、休職ができます。でも

何もしていないのに給料をもらっていたことに、とてもひけ目を感じ、このままもらい続けることに罪悪感がありました。

私にはありがたいことにもう自分の子供にお金はかからないので、自分自身のことだけを考えることができました。それでも

辞めたらどうする?

生活できるのか?

再就職できるのか?

無職だったらどうしよう

じゃあ職場に戻るか?

またあの場所に戻れるのか?

戻ったって、また休むことになるのではないか?

と、不安ばかりが襲ってきました。

まだ精神的にも、どちらを選べば後悔しないだろうかと考える余裕がありませんでしたが、

3カ月過ぎて学校に復帰する自信がなかったこと

また自分と合わなかった人たちと仕事をする勇気がなかったこと

途中放棄してしまったクラスの子供たちと、顔を合わせるのがつらかったこと

異動してきたばかりの私がすぐに異動できるはずがないこと

色々な思いが浮かび

このままでいたら精神を壊す

そう思い、もう辞めよう… と決心しました。

辞めることをメールで副校長に伝えました。

すると今まで全く連絡がなかった副校長から

「退職願」を出す必要があるというメールがすぐ届きました。

そして、退職理由は一身上の都合では受理されないと書かれてありました。

「なんだかぁ」

虚しさが募ってきました。

大事なことをメールで終わらせてしまった私。

それまでは自分の未熟さと弱さばかりを責めていましたが、

メールの返事から、副校長の気持ちを推察すると

これで、今後臨時採用教員を充てられる

辞めてくれるから面倒な鬱の私の対応をしなくてすむ…

辞めてくれてよかった

と喜んでいるように感じ、

怒りの気持ちがこみあげてきました。



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5.退職することが決まって

病休3か月目

病休が終わる月。

退職前に退職書類や身辺整理をするために、残っていた年休を来月に使うことにしました。

そのことを退職を決めたときにメールで伝えてありましたが、その返事をもらっていませんでした。

不安女性

「本当に年休ががとれているのだろうか」

不安になったので、副校長にメールをしました。

すると

「進捗をお知らせすればよかったですね。年休になってます」との返事がきました。ついでに「学校の荷物はどうしますか」とありました。

学校の荷物は病休に入る前の土曜日、学校に行ってほとんど持ち帰っていたので、そんなに残っていませんでした。

「捨ててもらうか、家に送ってもらえますか」と返事をうつと、送ってくれるというので、お願いしました。



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6.教員生活最後の1か月

年休を1カ月とりました

最後の月になると、事務の方から早々に退職に係る書類と、「退職を許可する」という発令書が送られてきました。

「ああ、本当に辞めちゃうんだな」と

発令書を見たときは淋しくなりましたが、自分で出した決断。前を向いていこうと言い聞かせました。

最後の月というのに

学校長や副校長からは、一度も私に電話やメールがくることはありませんでした。

最後の日

学校から何か連絡があるかなと思いましたが、勤務終了時間が過ぎても何も音沙汰がなかったので、自分から連絡をいれました。

本当なら出向いて挨拶をするべきなのでしょうが、身体はまだ学校に恐怖心があったし、管理職ともうまくいってなかったので、メールで迷惑をかけたこと、お世話にになったことを伝えました。

私が休んでいる間、1回も学校長と話をすることはありませんでした。

そして虚しいことに

メールの返事がその日に来ることなく、退職した次の日の午後、副校長からやっと返事がきました。

“完全に忘れられていたな”と感じたメール内容でした。辞める人はもうどうでもいいんだろうな…と強く感じた最後でした。

学校にあった私の荷物は家に送ってもらうことになっていましたが、結局送られてきませんでした。副校長のメールの終わりには「まだ荷物は送られていませんか。学年主任に送るように言ってありましたが」とありました。

コスモス

誰も辞めた人の荷物なんて片付けたくないですよね。結局副校長も人任せということです。もう送られてくることはないと思います。

そしてあっけなく、私の教員人生が終わりました。




7.同じような気持ちの人に伝えたいこと

教員で私と同じように鬱で悩んでいる人は、たくさんいらっしゃると思います。

きっと私も家族があって辞めることができなかったら、休職をとり続けたと思います。公務員の権利なので、それは堂々ととっていいと思います。

最低で3年間とれるので、その間に環境は随分変わるはずです。

私の場合、職場の環境が悪すぎました。もうあの学校には戻りたくない、あの人たちともう会いたくない、管理職が信用できないと思う気持ちが強くなりすぎていました。

たしかに急に先生が休むと同僚にとても迷惑がかかります。でも仕方ないことです。だれもがいつ病気になるか分からないのですから。そのための休暇です。

ただ年休を使って休むと臨時の教員をあてることはできません。学年でクラスを回すことになります。

身体の調子がおかしい、もう限界だ!と思ったときは、ためらわず心療内科を受診してください。

そして、病気休暇をとって少し休みましょう。

病気休暇をとれば、自分の代わりに臨時の教員を充てることができます。ちょこちょこ年休を取って休むことの方がとても迷惑がかかります。

私のように、

学校長と一度も会うことも話すことなく

こちらから連絡しない限り、学校から連絡がくることもなく

副校長だけですべてが終わり

やりとりはメールで完結

というのもあるんですよ。

自分という存在がなんだったのか

学校って結局こんなものかと薄情に感じましたが

考えようによっては、病休中に

わざわざ学校に出向くこともなく、電話がかかってくることもない。

学校関係者と関わらなくてよい

わずらわしさが一切ない

こういう私のような例を聞くと、そんなこともあるんだ!とちょっと安心しませんか。




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8.これからの人生
とんぼ

せっかく手に入れた正規採用。公務員をあっさり捨ててもったいないという気持ちはあります。でももう後戻りはできません。前に向かって進んでいくしかありません。

私は歳もとってるし、頭も悪いし、おまけに短大卒なので、正社員としての就職はもう無理な気がします。まだネガティブな考えが襲ってくるので、完全復活するにはもう少し時間が必要です。

今は貯金をつぶして生活している日々ですが、こうして人と会わずに、パソコンに向かって黙々とブログを書くのが気分転換になっています。人と向き合える日がきたらまた職を探します。

子供が好きなので、心が落ち着いたら臨時採用教員に登録しようかなとも考えています。

私と同じ症状で悩まれている方のために、病気休暇、休職、退職の仕方など、またの機会に詳しくお話ししようと思っています。

栗





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